日本にクリエイティブマネジメントを! 実績·知名度·資金ほぼゼロから年商250億円企業を作り上げた井川社長の願うこと 日本にクリエイティブマネジメントを! 実績·知名度·資金ほぼゼロから年商250億円企業を作り上げた井川社長の願うこと
STORY.10

日本にクリエイティブマネジメントを!
実績·知名度·資金ほぼゼロから

年商250億円企業を作り上げた
井川社長の願うこと

インタビュアー:田名網ひかり(クリーク·アンド·リバー社 2013年入社)

某求人媒体の求人広告制作プロジェクトにて、プロジェクトマネジメントを担当。
日本一の求人広告プロ集団を創るべく、日々奮闘中です!

クリエイターの生涯価値の向上とクライアントの価値創造への貢献をミッションとして掲げ、クリエイター·エージェンシー会社「クリーク·アンド·リバー社」を立ち上げた、社長の井川 幸広(いかわ ゆきひろ)さん。

フリーランスのディレクターとして働いていた井川さんがなぜクリーク·アンド·リバー社を立ち上げたのか。今日に至るまで怒涛の挑戦の軌跡を、語ってもらいました。

ディレクターとしての挫折と葛藤 ― 1人の天才が書いた1200文字の企画書

井川

元々ドキュメンタリズムに興味があって、フリーランスのディレクターとして独立してからは、社会の矛盾や理不尽さを追ったドキュメンタリー番組を作っていたんだ。自分の作った番組で世の中を変えたい!インパクトを与えたい!という想いで日本一のディレクターを目指してね。

でも、ある取材をきっかけにディレクターとして生きていくことに迷いが生じたんだよ。

井川

アフリカの難民キャンプに行った時、食糧不足で子供たちが生きるか死ぬかという姿を見てね。その状況に何もできない自分の無力さに気づいたんだ。

彼らに必要なのは、今起きている惨状を撮影して多くの人に伝えることなのか。それとも、土地に川を引いて作物を育てることができるようにしてやることなのか。選択肢として2つの考えが浮かんだんだ。

「目の前で起きている困難や問題にカメラを向け、社会へ提起する」のが正しいのか、それとも「目の前で困っている人に直接手を差しのべる」べきなのか。

井川さんはディレクターとして究極の選択を迫られたといいます。

ディレクターとして多くの人を救うためには、時に残酷かつ冷酷でなければいけない。苦しんでいる人たちに対して手を差し伸べるのではなく、カメラを向けて撮り、発信することこそ本来の使命だ。

と、頭では思いながらも、自分はその使命を全うできるのだろうか…?と、そんな思いに悩み、ディレクターとして働いていくことに迷いが生まれていったそうです。

井川

転機はもう一つあったんだ。某有名番組の企画を引き受けた時、何日もホテルで缶詰めになって、やっとの思いで企画書を作りあげたことがあってね。

ディレクターとしてのキャリアも結構積んでいたし、ディレクターの仕事のみで一生暮らしていけるくらい稼いでもいたから、企画にもそれなりに自信があった。

でもそんな時、たった1枚の企画書に打ちのめされたんだ。

ジェームス三木※1さんが書いた企画書。

井川

「その企画書にはたった1200文字しか書かれていないんだけど、そこに書かれている企画や世界観、表現力、どれをとっても、とにかく素晴らしかった…!

と感じたと同時に、自分はどう頑張ってもこの人の領域に到達できない。

才能の限界を感じてしまったんだ。

世界一のディレクターになることを目標にしていた自分にとって、痛恨のカウンターパンチを受けた瞬間だったよ…。

その時くらいから、ディレクターとしての人生観を追うよりも、目の前の人たちを直接助けるという生き方が自分には向いているんじゃないかと強く意識するようになったんだ。

※1 ジェームス三木:大河ドラマ『独眼竜政宗』を大ヒットさせ大河史上1位の視聴率を獲得した日本の脚本家·作家

意外なことに、スタートは目指した道からの挫折だったと語る井川さん。

自らの人生観、他のディレクターとの才能の差を考えさせられたこの2つの出来事。

特に、アフリカでの出来事はクリーク·アンド·リバー社の社名の由来にもなっていることから、井川さんの人生の中で大きなターニングポイントだったといえるのかもしれません。

そしてこのあたりから、プロフェッショナルの労働環境が整備されていないことに対する課題感を強く感じるようになっていったのだとか。

井川

ジェームス三木さんは別格だったとしても、当時僕より企画や演出力が優れたディレクターやクリエイターはいくらでもいたんだ。

でも、彼らの多くが独立後に仕事を失って業界からいなくなってしまった。

そして話をきけばそのほとんどのケースで「ディレクターとしての実力以外の部分」が原因で仕事を失ってしまっていたんだ。

才能や能力はあるのに業界のしがらみに囚われたり、コミュニケーション不足でクライアントに不当評価されたりといった具合にね。

自分がディレクターとして働いていたからこそ、プロフェッショナルの労働環境が整備されていないことに気付くことができた。

ならばその整っていない環境を整え、クリエイターがクリエイティブに集中し、雑多なことに埋もれずクリエイターとしての実力で評価される社会を作ろうじゃないか。

そう決めた井川さんは、自身にとって身近な人々であったクリエイターを助けていこうと考え、クリーク·アンド·リバー社を立ち上げたのだとか。

実績も人脈もゼロ!
資金集めに苦しむ中で出会った運命の支店長

井川

当時、銀行は簡単にお金を貸してくれるものだと思ってた。でも現実はぜんっぜんダメでね。実績も人脈もなかったから、どこの銀行へ行っても門前払いで断られたんだ。

お金を借りるのはこんなに大変なのか……!と困り果てていた時、当時の三和銀行(現·三菱東京UFJ銀行)に飛び込みで説明にいったんだよ。

井川

もちろんいつも通りの門前払いだったけど、とにかくどうにかしなきゃならなかった。だから、翌日朝の8時に銀行の前で支店長を待ち伏せしてね(笑)。

会社資料もバッチリ準備して、事業として絶対成功することを必死に説明して。

そうしたら「じゃあ僕の決裁枠があるからそこから融資しよう」って言ってくれたんだ。その支店長がね。

この時、実績も人脈もない状態の井川さんの話を朝8時から聞いてくれ、そして自身の決裁枠のギリギリまで融資を都合してくれた支店長が、なんと現在もクリーク·アンド·リバー社で監査役を務めている喜多村さん。

「あの時、唯一力を貸してくれた喜多村さんは本当に恩人。今でも頭が上がらないよ」と苦笑いする井川さん。

井川さん×喜多村さん

井川

融資してもらってからは、決算が終わった毎月10日に試算表を持って喜多村さんに業績を報告しにいってたよ。お金を返し切るまで7年間、ひと月も欠かさずにね。

毎月の売上げを黒字にするのに本当に苦労したけど、コツコツ業績を伸ばして会社のことが新聞に載るようになると、今度は別の銀行の支店長が飛び込みでウチへやってきて向こうから融資してくれて。

「こんなこともあるのか!」って驚いたもんだった(笑)

実績も知名度もない小さな会社が銀行から融資を受けるのはとにかく至難の業。

銀行にしてみたって「信用できるのかどうか?」を判断する材料がないわけですから当たり前なんですが、だからこそ「三和銀行からお金を借りている」という実績は、大きな信頼となり、それだけで、他の銀行からもお金を借りることができるようになったそうです。

融資してもらった全ての銀行に試算表を毎月報告しに行くなど、その積み重ねの営業活動で信頼を得て大きな融資につながり、最終的には株式を公開する直前まで個人保証で借りていた額がなんと10億円!

設立当初は10年後に会社を上場させようと目標を立てていた井川さん。目標どおり設立からちょうど10年後の2000年に、ナスダック·ジャパン(現·JASDAQ)に第一号銘柄として上場することに成功しました。

経営には順番がある。
ロマンを形にするため、ベース作りに費やした10年

井川

まず、TVディレクターや映画監督などのクリエイターを支える事業をやりたかった。その入口として、人材派遣·紹介事業のベース作りからはじめたんだ。それで地盤を盤石にしてから請負事業に挑んだ。ただの人材派遣·紹介会社だと思われることにすごく抵抗があったし、

実は、すぐにでも請負事業(クライアントから依頼を受けてモノをつくる仕事)をやりたかったんだ。だけど「地盤がないまま突っ込むと失敗するよ」と経営者の先輩に教えられてね。

万が一失敗しても、会社が潰れることがないよう、基盤事業で余裕資金が作れるまで10年は我慢したんだ。

経営には「ロマンとそろばん」両方のバランスが大事なんだ。と語る井川さん。

「ロマン=夢」だけ追いかけても食べていけない。けれど、「そろばん=数字」だけ見ていると人はついてこない。

かつて自身もロマンを形にする作り手側にいた井川さんは、作り手がモノを創るだけで終わることがないよう、そろばんをはじく側に回ったのだと言います。

そしてやがて、医者·弁護士·会計士·作家など、映画·TV·Web·ゲームといったクリエイティブ業界以外のプロフェッショナル領域で働く人たちにも、同じように業界のしがらみや仕組みによって個人の才能が発揮されていない現状に気づき、徐々にサービスの領域を広げていったのだとか。

世界に誇れる技術やスキルを持っているプロフェッショナルがいる限り、クリーク·アンド·リバー社のやるべきことは無くならない

井川

日本には世界に誇れる技術を持ったプロフェッショナルがたくさんいて、分野でいうと50くらいある。

たとえば、TV·Web·ゲームといったクリエイティブ業界のプロフェッショナル以外にも日本には、ロボット工学やバイオ科学など特殊な分野で働いているプロフェッショナルがいる。そして彼らは価値のある知財を持っている。

だけど、その知財をマネジメントして付加価値をつけたり、市場に売り出す仕組みがまだ全然できていないんだ。

井川

そこで、我々が彼らの知財とそれを必要としている企業を結ぶネットワークを構築できたらどうだろう?しかも世界規模で。どう、面白そうだろう?(笑)

プロフェッショナルの生涯価値の向上を目指すということは、ただ仕事を提供するだけじゃなくて、プロフェッショナルが仕事を通じて、自己実現できるような仕組みをつくるということ。

いきがいを持って仕事をやり続けられる定年退職のない世界を、50分野のプロフェッショナル·エージェンシーで作ることができれば、もっと社会を豊かにできると思うんだ。

まだやりたいことが始まったばかりだ。これからも挑戦し続けていくよ。

常に全力疾走しながら会社とともに変化し続けてきた井川さんの話を聞いて、ワクワクさせられっぱなしの取材陣。

スケールの大きな話に自分のちっぽけさを反省してしまいました(苦笑)

社会や時代が刻々と変わっているけれど、プロフェッショナルが持っている知財はマネジメントされず付加価値もつけられない。市場に売り出す仕組みは一向に整備されない。

でも、だからこそ「プロフェッショナルの能力を支え、新たな価値を創造していく」という井川さんの想いは揺がなかったんでしょう。

根底がしっかりしているからこそ、事業の領域や規模が大きくなっても成長し続けられたということですね。

最後に、就活生に向けて井川さんから熱いメッセージが贈られました。

井川

人生の半分以上は仕事をしていくことになるから仕事と人生は切り離せない。

自分が満足できる人生を全うするために、自分にどんな仕事が向いているのか。考え続けて、歩き続けるしかないと思うんだ。

1つ目標を持って山を登ると、登った山の先には違う山、夢が見えてくる。

ステージが上がればどんどん視野が広がって、自分がやるべき課題や問題が見えてくる。

日々真剣に向き合いながら挑戦し続けてほしいね。

クリーク·アンド·リバー社の事業。

そして、何よりもこれから社会人になる皆さんに「どう生きて欲しいのか」というメッセージは伝わりましたでしょうか?

今回のインタビューだけでは、当社の魅力のすべては伝えきれませんが、少なくとも、ここに掲載された記事にワクワクし、井川さんの言葉に共感した人にとっては『参画する意味のある企業』と言えるかもしれません。

“世界へ向けて。” 年齢も経験も関係なく、本当に全員で走っているチームでやってみたいと思ったら…。

次は説明会で。そして、どこかの現場でお会いしましょう。お待ちしています。

編集:中村健太

インタビュアー:田名網ひかり

ライター:八坂三紀

カメラマン:河合駿太

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